前書き
―――ここ最近、筆者がずっと引っかかっている言葉として『推し』がある。
これについて個人的な考え。
いや、妄言。もしくは暴論。
エビデンスも無く自分の経験と主観に基づく仮定に仮定を重ねた怪文書。自慰。
そんなものを吐き出したい。考えを整理したい。
ちなみに筆者は限界オタクです。対戦よろしくお願いします。
『推し』の意味
辞書では、"推薦"や"推測"と書かれているが、今回の主旨はこの事ではない。
調べると、自分が好きな人/モノ/事を応援もしくは支持することらしい。
『好き』の一歩先の表現という記述もあった。
個人的には『好き』よりも妄信的な印象がある。
『好き』ではない?
『推し』と合わせて聞く言葉として『推し活』がある。
メディアでもよく聞くし、特集も組まれたりする。
けど、やりつくしたコンテンツを今の言葉に置き換えて見せかけの真新しさを作ってない?とか思う。
たぶん、そのうちまた別の言葉が出てきてキャッチコピーだけ変えて提供される気がする。いや、いいんだけどね。
筆者の『推し』のイメージは『祭壇』だ。
(祭壇=『推し』のグッズで満たされた棚)
神格化して、完全に線を引いてる感じがする。
『推し』に対する感情の高まりを『尊い』と言ったりするのも神格化を感じる要因かもしれない。
もしくは、『好き』は照れ臭いのかもしれない。
『推し』は憧れの対象であって、そういうつもりはない。とか?
もしそれが、思春期男子が格ゲーで女性キャラを使うのが恥ずかしいみたいなことなら、筆者もよく分かる。「こいつエロだぜー!」って指差されたくない時期は誰にだってある。じゃあ仕方ない。
純粋に応援しているなら『推し』だが、その人/キャラクターで"致した"なら『推し』とは違う気がする。『好き』の方が合ってると思う。
…いや、神格化した存在、自分の手が届かない存在を使って"致す"方が、背徳感があって良いのかもしれない。
性癖なら仕方ない。
筆者は、人の性癖を否定することは許されないと思っている。
全ての人間は性癖の前に正直でなければならない。
汝、己の性癖を愛せよ。
以前は好きなキャラに群がる自分たちのことを『豚(萌え豚)』と卑下していた。
理性はないけど、自分の性癖に正直な感じは嫌いじゃなかった。
ここまで来ると筆者自身が、ムッツリよりオープンスケベが好きなだけでは?という気もする。そりゃハナコは好きだけど…。でもミカやナギサやユウカやトキやヒマリやウイだって好きだし…。
「こいつエロだぜー!」
『推し』がいる生活
ふと立ち返ると、筆者に『推し』がいないことに気付いた。
いや『好き』はたくさんある。
好きな芸能人はいる。
リアタイではないが、ラジオやテレビも追っている。Youtubeも見る。本も買った。
これは先に書いた自慰や性癖とは一切関係なく、『好き』だから追っている。
応援している。
でも『推し』とは違う。
Twitter(X)はフォローしてない。
その人のすべてを妄信することはできない。
些細なきっかけで自分が失望したくないだけかもしれない。
それまでの『好き』に費やした時間がすべて反転するのが怖いのかもしれない。
期待し過ぎていることの裏返しかもしれない。むしろこっちの方が妄信か?
限界オタクとして、好きなキャラだって山ほどいる。
それで言えば鹿島さんとか千雪さんに関しては『祭壇』とも呼べるモノはある。
でも『推し』ではない。
そのキャラで致したことがあるから、前述の自論の通り『推し』とは言い難い。
もしかすると、『推し』という言葉に引っかかっているのは、自分に『推し』がいないからかもしれない。
『推し』がいる生活は、どうやら毎日が楽しいらしい。そんな生活知らない。
なんだ、結局嫉妬か。
賢者
吐き出してみてスッキリした。こういうことね。
- 流行に乗って『好き』を『推し』と言い換えている場合もある
- 『好き』は言いにくいから『推し』と言い換えている思春期男子パターンがあるかもしれない
- あえて『推し』と言い神格化して致することで背徳感を得ている層がいるかもしれない
- 筆者は『推し』がある人に嫉妬している
もちろん純粋に『推し活』をしている人もいる。それは分かってる。
でもほら、嫉妬してるから。
こうしないとメンタル保てないから。
エロだから。
『推し』をください!!!