あらすじ
サクマ&ピース シーズン2の聖地巡礼を終え、福島県双葉郡広野町にある"ホテルオーシャンいわさわ"に宿泊。
翌朝、R6を北上し、浪江町へ向かいました。
道路は補修されていて恐怖を感じる箇所はありませんでした。
道沿いでは作業している様子が多々見られます。
ただ、それと同時に有名チェーン店や住居が当時のまま残されている姿も。
ラッキー公園 in なみえまち
まずは"道の駅 なみえ"にある"ラッキー公園"へ。
2019年2月にふくしま応援ポケモンとしてラッキーが任命され、2021/12/12にこの公園ができたそうです。
一応、浪江町との関係として、ポケモンの生みの親である"田尻 智"の父親の出身地だからということらしい。
普通に復興支援で良いと思うんだけど、この細い関係性要る?
6m以上の高さがある巨大ラッキーの裏は2階建ての遊び場になっていました。
ベロリンガ。
ベロが滑り台になっているのは秀逸ですね。
ラッキー公園はここ以外にも、中通りの"開成山公園"、会津の"道の駅 会津柳津"と"道の駅 からむし織の里しょうわ"にもあるとのこと。
個人的にラッキーと言えば、「どくどく、タマゴうみ、ちきゅうなげ、ちいさくなる」ですが、どくどく没収されたからもう害悪ムーブできないんだよね…。
ふくしま応援ポケモンがどくどく覚えるのはまずかった?と邪推したり。
海沿い R254
あの日この道も津波に飲まれていたんですよね。
周辺に何もないのに道だけ綺麗。
工事車両としかすれ違わない。まぁ平日だったしね。
福島県 復興祈念公園 (見晴台)
道沿いにあったので寄り道。
見晴台とは言いますが、中身は工事現場の足場で作られたものでした。
平日9時~16時まで開放されており、それ以外は施錠されているとのこと。
2025年度末完成予定とのこと。
この日も多くの工事車両が出入りしていました。
見晴台からの景色。
見える範囲ではまだ更地の印象が強い。
公園が完成したらこんな一時凌ぎの見晴台は撤去されるだろうに、それでも作ったのは、少しずつでも復興に向けて動いているのを見てほしいという思いがあるのかもしれない。
この見晴台の高さは11mで、
2011/03/11の最大津波水深は16.5mという。
ちょっと想像できない。
東日本大震災・原子力災害伝承館
左の建物が伝承館です。
入館料は600円。
館内は映像作品以外は写真撮影OKです。
まずはプロジェクションマッピングの映像。
西田敏行のナレーションで、浪江町と双葉町と成り立ち、原発との関係、震災、原発事故、これからの歩みが語られます。
映像視聴後、映像が投影されていた壁沿いにあるスロープを登って2Fへ。
映像が投影されていた壁の裏には、原発の歴史と、震災後の事象が。
まずは震災前の町の様子が展示されています。
この後どうなるか知っているせいで歪に見えてしまうけど、当時は原発のおかげで雇用が生まれて町は繁栄したし、関東圏はここで作られた電気で生きているからね。
右:地震発生時刻。
大きな揺れで落下したための14:46で止まった。
左:津波到達時刻。
津波の影響で15:38に配電が止まった。
福島原発のジオラマ。
左から4号機、3号機、2号機、1号機。
2号機以外は水素爆発で建屋が損傷。
福島市の空間線量の推移。
事故発生直後は2.74μSv/hまで上がったが、2021/03では0.12μSv/hに。
筆舌に尽くし難いとはこのことか。
災害の始まり、事故直後の対応、県民の想い、長期化する原子力災害の影響、復興への挑戦というテーマに分けた展示があり、そのどれも突き刺さって身震いする。涙腺が危ない。動物系は弱いんだ。
近代の大災害ということで写真や映像が多くあり、各種展示物と相まって当時の過酷さがひしひしと伝わりました。
屋上からは沿岸を眺めることができます。
ゆくゆくはここ一帯が復興記念公園になるということですね。
お腹が空いたので対面の"双葉町産業交流センター"のフードコートでB級グルメの"なみえ焼きそば(並)"(650円)をいただきました。
具はラードで炒めた豚バラともやし。
うどんみたいな太さですが、中華麺が使われているので"そば"で合ってる。
約50年前、労働者ために食べ応えと腹持ちとよくするために考案されたという由緒正しきローカルフードとのこと。
ツウは一味唐辛子をかけて食べるという。
B級らしい着飾らない美味しさ。好き。ソースの味って男の子だよな。
震災遺構 浪江町立 請戸小学校
今回のツーリングで一番来たかったところ。
"請戸小学校"は大震災と津波に見舞われ甚大な被害を受けました。
震災当時、2~6年生の児童と教職員がいましたが、奇跡的に全員無事避難することができ、2021/10から一般公開されました。
(大人:300円)
津波は校舎の2階床下まで達したとのこと。
バルコニーから校舎へ入ります。
経年劣化による廃墟ではなく、津波の被害による光景。
津波はバルコニー側から入ってきたため、反対側に瓦礫が集中しています。
道中には、児童と職員がどのようにして非難したのかと、在りし日の教室の写真が展示されています。あまりの落差に言葉が詰まる。
震災が起きたとき、5年生はこの体育館で3/23に行われる修・卒業式へ向けた準備をしていたという。
昇降口。
階段を登り2階の展示コーナーへ。
浸水は2階の床下までだったため、ほぼ当時の教室の内装が残っています。
時計は津波が到達した15:38で止まったまま。
震災前のジオラマ。写真中央の水色のラインが入った建物が請戸小学校。
津波発生後の周辺の写真。
児童と教職員は最初は校庭に避難しましたが、津波発生の放送を聞き、取るものも取らず1.5km離れた大平山へ逃げました。教職員の迅速な判断と児童の協力が奇跡を生んだという。
教頭先生は津波到達間際まで学校に残り、逃げ遅れた人の確認と迎えに来た保護者へ大平山に向かったことを説明したとのこと。ちょっと胆力凄すぎる…。
展示パネルの最後には『あなたにとっての"大平山"はどこですか?』という言葉で締めくくられていました。
帰宅
もう1か所、"東京電力廃炉資料館"にも行きたかったのですが、こちらは要予約で団体予約が入っていたためダメでした。
3.11は自分が生きているときに起きた大災害。
修学旅行で原爆ドームも見ましたが、自分が生まれる前の話なのでどうしても実感が湧きませんでした。
3.11の様子はテレビで見ていましたが、伝承館や請戸小学校では、直筆の言葉や物品を生で見て改めて強い衝撃を覚えました。
絶対に一度は見に来た方がいい。
2022/10現在、常磐道もR6も全線バイクでも行けるようになっています。
是非、自分の目と肌で感じてほしい。
…原爆ドームも今見たら感じ方変わってるんですかね。