[注意]筆者は鉄オタでは無いので、誤情報、誤名称を含む可能性があります。許してください!!お願いします!!なんでもしまかぜ!!
お話します
提督さん
「鹿島鉄道」って
知ってますか?
「鹿島鉄道」というのはね
たとえば
鉾田駅を結ぶ(※1)
全長27キロの民営鉄道とか
あるいは
経営悪化により
2007年3月31日に廃線(※2)
といったことを
「鹿島鉄道」というんですよ
■小川高校下駅
いきなり石岡駅から8駅先の「小川高校下駅」へ。
始点の石岡駅は、駅は再開発により、鹿島鉄道の面影は無さそうなのでスルー。
石岡駅寄りの一部の路線跡地は、バス専用の道として整備されたようですが、バス専用でおバイクできないのでスルー。
壁面のイラストは、小川高校生徒が鹿島鉄道存続を願って書いたものだそうです。
その小川高校は、2013年3月31日で閉校となりました。
鹿島鉄道の廃線が要因のひとつだったかは分かりませんが、「かしてつ」の略称で生徒達に親しまれていたようです。
レールは取り払われて、草が生い茂りつつあります。
廃線から12年経った駅舎は、蛍光灯が落ちかけおり、特に整備されている様子は無さそう。今はまだ大丈夫そうですが、ゆくゆくは安全面の問題から解体されるのだろうか。おセンチな気分になっちゃう。
■キハ432(はるるの郷)
小川高校下駅からはバイクで1分程度。
介護事業所"はるるの郷"の裏手に、鹿島鉄道で使用された「キハ432」が置かれています。
移設時に外装はリペイントしたらしいです。
こちらは、1973年から2007年まで、鹿島鉄道を長きに渡り支えた車両です。
"関係者以外立ち入り禁止"ではありますが、ここまで近くで見せてもらえるのは、ありがたい。
と、撮影していると、はるるの郷職員のお姉さんが中も見ますか?と声を掛けてくれたので、喰い気味に、いいんですか!?オナシャス!!しました(照れ)
掃除してないから汚いと言ってたけど、こういうのはそれぐらいがちょうど良いでしょ(王者の風格)
長机とモニターが置かれてままになっていました。
何かイベントが行なわれたときは、ここで鹿島鉄道のDVDを流したりするのでしょう。
車掌室は流石に立ち入り禁止。
始点の石岡から、終点の鉾田まで乗ると¥1,080。
こちらは上りの運賃表で、反対側には下りのものがありました。
鹿島鉄道はワンマン運転のため、駅に改札は無く、バスのように整理券を取り下車時に料金を払います。
中見れるとは思わなかったので、素直に感動。
板張りの床って良いね。ほぼ当時のままと思われる非常に趣きのある内装で撮ってて楽しかった。
職員のお姉さん、本当にありがとうございました(良識)
■坂戸駅
続いて、小川高校下駅から下り方向に8駅先、終点鉾田駅の1つ手前の「坂戸駅」へ。
小川高校下駅からはバイクで25分程度。
事前にネットで見た感じだと、トンでもない森の中にあるのかと思いましたが、住宅が立ち並ぶ中の路地を入ったところにあるトンでもないところでした。車で入るのはやめたほうが無難。というか入れない狭さ。
竹やぶに囲まれたおかげで、日差しが当たらずそこまで朽ちてはいない印象。
坂戸駅から下り方面。
草木が生い茂り、進行は厳しい。
■鉾田駅
鹿島鉄道の終点「鉾田駅」へ。バス営業所の裏手のあります。
小川高校駅下駅や坂戸駅と比べると、プラットホームがあるだけで、駅としての痕跡はとても薄い。
行くと実感しますが、地元民や近隣の会社員以外は、こんなとこで下ろされても・・・(困惑)感が強い。
■KR505とキハ601(ほっとパーク鉾田)
プール、温泉、トレーニングルームを兼ね備えた複合施設です。
その駐車場に2台の車両が向かい合わせで置かれています。
手前の"鉾田駅"や、奥の"ほこた"の看板は実際に使われていたものを持ってきたらしい。
と、撮影していると、中で作業中のおじさまが、中も見ます?ヘルメット被るなら入ってもいいよ?と声を掛けてくれたので、喰い気味に、いいんですか!?オナシャス!!しました(2度目)
こちらは「KR505」。
1992年に現:新潟トランシスで製造され、廃線まで16年の間、主力車両として活躍したそうです。
もう片方は「キハ601」。
1965年に鹿島鉄道に移され、廃線まで走り続けたロートル。製造自体は1936年で、構造が古いため、勾配のきつい坂や左右の揺れに弱かった模様。
鉾田駅保存会によって定期的に車両公開が開催されているようです。
今回、声を掛けてくれた作業員の方も、3月末のイベントに向けてたまたま準備をしていたようです。
イベントの際には車内見学もでき、各種企画も実施されるようなので、興味のある方はどうぞ。
この後、温泉にも入りました。
¥850でした。「とっぷさんて大洋」と同様に黒湯。あちらと比べると景色は、・・・ナオキです。しかし、寝湯、炭酸泉もあるので風呂の種類はこちらが上ですね。
■鹿島に至らない鹿島鉄道
ようやく"※"の解説
※1:そもそもは石岡駅から鹿島神宮に至る鉄道を作ろうとしたのが始まり。1924年の開業当時は石岡から常陸小川まで。年々区間を延ばしていったが、鹿島神宮までの予算は無く、そのまま横へ延ばし"大洗-鉾田-息栖"の縦ラインに繋げる計画に移行。1929年に鉾田へ繋がり、終点となった。
※2:1965年以降、自動車の普及により収益が悪化。その後の主な収入源は、航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送、学生の通学だったが、ジェット燃料輸送は2002年に廃止。2005年のつくばエクスプレス開業がトドメとなった。
各所で見かけましたが、臨海大洗鹿島線の新鉾田駅に繋ぐことはできなかったのか?という疑問が残ります。発起当初の鹿島神宮へ繋ぐという計画を間接的に叶えられたはずだし、サッカースタジアムへ向かう人達の足にも成り得たはず。
どうして・・・どうして・・・?
今回、優しい方々のおかげで、普段見れない中まで見せていただきました。ありがとうございました。
特別というわけではなく、誰でもお願いすれば大丈夫そうです。過激な撮り鉄さんが無茶してやらかすぐらいなら、絶対禁止にしない方が逆に良いということかもしれない。むしろ、やらかす系に見えたから、向こうから声を掛けてくれたのかもしれない・・・?
うーん・・・。
■蛇足
その後、51号線に乗り、南下。
「魚吉食堂」さんで、"カツオ刺し定食"(¥1,000)をいただきました。普通に美味しかった(小並)
また行きます。次は"鹿島ダコ刺し定食"食べます(先制攻撃)
この後、鹿島神宮に寄って、マンスリー達成で終了。